感情のコントロールって深いなと感じたこと
あちゃです。
いつも感情の餌食になって人生で損ばかりしてきた気がします。
私の場合は理不尽な事柄を限界になるまでずっと放置、我慢し続けて一気に爆発させるという最悪なものでした。
私はHSPという気質を持っていながらもとても気が短く、自分の感情をコントロールできないことを今でもずっと恥じています。
感情をコントロールできない人はサルに近い。
いつか図書館で借りた本にそんなようなことが書いてありました。
人間の脳には感情をつかさどる偏桃体というものが存在し、そこには自分の分身であるサルが住んでいるようなものだとイメージすればわかりやすいというもの。
そしてその感情の部分をコントロールするために人間には理性というものが存在し、それをつかさどる部分が前頭前野らしいのです。
脳の中では何かが起こった時にサル(偏桃体)がその場面に適した自然な感情をむき出しにして暴れまわるそうです。
そこで人間らしくありたいと思う理性をもった脳内の自分自身(前頭前野)がサルをどうにか捕獲して檻の中に入れて静かにさせようとする格闘のようなものが起こっているというのです。
サルの捕獲に成功 = 感情のコントロールに成功
交友関係や職場での人間関係が良好な人ほど脳内のサルをうまく飼い慣らして調教できているのだそうです。
それにそういう人はそうできるように環境を選んでいるのだそうです。
一方
サルの捕獲に失敗 = 感情むき出しのサルに降格決定
周りに怒鳴り散らしたりしていつもイライラしながら社内の雰囲気を悪くしているような社長さんがかつての職場にいましたが、その方は人間を放棄したサルそのものと考えていいそうです。
かつての私も職場に不満があるのにも関わらず我慢して、言いたいことがあるのに勇気を振り絞れないことに嫌気がさし、結局はふてくされて仏頂面で毎日を過ごすという臆病なくせに不機嫌なサル状態でした。
限界が来る前に環境を変えれば良かったのになぁと今でも後悔しています。
ここまでお話するともはや感情なんていらないじゃないかと思われがちだし、自分もそう思うのですが…
感情をむき出しにしていいのは娯楽を楽しんでいる時(特に喜怒哀楽の怒り以外)
というようなことも書いてありました。
①感動する映画を見て思いっきり泣いてしまった
②美味しいご飯を食べて悶絶した
③お笑いを見て大爆笑した
こういった場面でしょうか。
ただし、ここからは私の持論になってしまいますが…
上記のことを第三者に強要してはいけない
ということです。
例えば、自分が感動した映画を絶対に見るように友人などに強要して、後日何度も何度もそのことについての感想を尋ねたりとかしたら、そのお友だちに面倒がられますよね。
好みじゃない料理を勝手に頼まれてもイヤですし、笑いのツボだってまったく違うかもしれない。
なのできっと感情を大いに表現していいのは…
あくまで自分自身で娯楽を楽しんでいる時
そして
同じような価値観の人と共有している時
なのかなと感じています。
怒りや哀しみの感情は抱きたくないし、他者からも感じとりたくありません。
ストレスの多い世の中で私を含めてサルみたいな人もいっぱいいるかもしれないけれども、なんとか自分の脳内のサルをうまく飼いならして、たまにはサルを開放しながら仲良く付き合っていければなと思います。